明治の読書

1868年に日本で新政府がおこってしばらくは、人口の大半が小学校卒という状態だった。識字率はそれほど高くなかった。けれども、新しい教育制度ができて、対外戦争に勝ってしまったりしたもんだから、優等国家意識みたいなものが芽生えてきて、政府も一生懸命新聞や書籍の出版を奨励し、国民もこれに応えて、本を読む習慣がだんだんと育っていった。

世紀が変わる頃(明治30年代)までに日本列島の骨格を成すくらいの鉄道網が整備されていった。鉄道が出版物を全国に届け、取次店や新聞販売店といった「活字ディーラー」を育てた。全国で、一律的な情報にそれほどの時差を感ぜずに触れられるようになった。
さらに鉄道網が発展して利用者が増えてくる。自分の足で歩くことを「旅」といっていた時代から、座っていれば目的地に着く時代になった。長時間の移動車中が無聊になる。消閑のために車内で活字を読む文化が育ってくる。
面白かったのは、当時の読書とは音読だったということだ。声を出して読むので、時には乗客同士で喧嘩になったり、他人の声で気が狂いそうになったりする人がいて、喧嘩の仲裁に入ったおまわりさんが「まあまあ、音読しているくらいで目くじら立てなさんな」みたいなことが、普通にあったらしい。みんなが好き勝手に声を出して本を読んでいる車内の様子を思い浮かべると、そこはかとない平和を感じる。

令和の時代は、電車の中で音読しないどころか、本を広げている人も稀である(スマホで読んでいる人もいるのかもしれないが)。平成の最初の頃までは、車内で新聞や本を広げている人が結構いたように記憶している。明治の30年で活字文化が育ち、車内で読書をする人が増えた。平成の30年で、電車内の活字文化はほぼ絶滅したようである。
「読書国民の誕生」(永嶺重敏)という本に、そんなことが書いてあって、旅も読書も好きな一読者として、色々考えさせられた。

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明治の読書」への2件のフィードバック

  1. 旅行の楽しみの一つに、持ち出す本選びがあると思っています。内容もさることながら、荷物になるからと薄い本ではすぐに読み終えてしまうだろうし、かといって厚い本は荷物になるうえ、移動中の景色や目的地での物見遊山を愉しむことを考え合わせると果たしてどれだけ読み進められるのか等々……。電子書籍を好まないので悩むばかり。古い人間ということでしょうか。
    本文とは関係ありませんが、移っているJBL、拙宅のものと同じです。やはり古い人間でした。

    1. 旅行のための本選び、全く同感です。楽しみでもあり、悩ましくもあり。。。ですね。

      このJBLのスピーカーがご自宅にあるとは、素敵なお宅を想像します。羨ましいです。
      写真に写っているスピーカーは、昨年夏に泊まった北九州・小倉のホテルにあったものです。DENONのアンプに繋がったAudio Technicaのレコード台の上で回っているクインシー・ジョーンズを、ソファに座って聞いているうちに、つい撮影したものです。

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