2023年の最後に

自分にとっての2023年を一言で表現するなら、ほぼ無計画にあちこち移動してきたこと、といえそうだ。
2月には広島、愛媛、高知に行き、5月から6月にかけてはアメリカ東海岸、次いでカナダ西海岸へ渡った。7月には福島、長野でそれぞれ山登りをした。念願の北アルプスに登ることもできた。8月に人生で初めて、モンゴルという素晴らしい国に寄せてもらった。9月にかけては自転車ツーリングで神戸から博多まで、西日本太平洋側の主要都市を繋ぎながら見聞を広めた。9月には紅葉が進んだ長野県に戻り、10月はフルマラソンという苦行をするために横浜に出かけた。11月から12月はタイのバンコクである。自分にとって、移動するとは、新しい体験をすることである。移動距離と精神衛生は密接に関連している。移動するほどに気持ちは軽くなる。いまは心身に羽が生えているかのようだ。

今年の最初の投稿で、「今年も無計画」に人生を送ることを宣言していたが、上記の移動のうち自分の意思で計画を立てて行なったものは9月の自転車ツーリングと10月のフルマラソンだけである。あとは人に誘われるとか、仕事で必要になったとか、つまりは他人から与えられた移動である。「計画通り」に「無計画」な1年だった。

目標とか願いとか、そういうものを持つことはとても大切なことだとは認識している。
例えば、先日テレビで見た父が子に向けるコメントが印象深かった。スペインのバルセロナの地下鉄に置かれたピアノを定点撮影する番組である。父親は同性婚で、生後9ヶ月でその男の子を養子として引き取った。男の子は8歳でADHDと診断され、おもちゃのピアノを弾いている姿を見てピアノ教室に通わせたところ、9ヶ月でベートーベンを弾けるようになった。父は言う。「誰にも追いつけないほど、どこまでも遠く、高く羽ばたいて欲しいといつも言っている。限界なんてないんだ。ピアニストでも、宇宙飛行士でも、何にでもなれる」。

モンゴルで再会した友人から、先日メールが来た。
「今日は、ウラーンバートルで雪が降っています。私、3週間前に出産し、可愛い女の子を迎えました。ジグールトとういう名前をあげました。翼のある人という意味です」。
子に名前をつけるとは、何かを願うという行為の最も尊い現れかもしれない。

俳優の中尾彬さんのインタビュー記事が新聞の折込に書いてあった。
「何がグッドライフかってまさに今探しているところだよ。ただ、目標とかって大きなことじゃなくて、少し先の予定を立ててそれを楽しみに今を生きるというのが俺たちにとっての今のグッドライフかな。」

「この先私、どういう方向に進めばいいかわかりません」と相談してきた若い女性アイドルに、「北京オリンピックに向けて何か練習しなさい」と、高田純次さんはアドバイスしたらしい。

ゴールを定める。プロジェクト期間を逆算する。マイルストーンで進捗を測れるように数値化する。ガントチャートやTODOリストに落とす。長い社会人生活を通して、最短距離で事業目標を達成するためのスキルを習ってきたし、少なからず実践もしてきた。これが機能する前提は見渡せる範囲の中に目標があるということで、見えないものはゴールになり得ない。視野の狭いリーダーの下に付いたら悲劇である。
実際には、見えないものの中に人生を豊かにしてくれる目標があったりする。「次回の北京オリンピックに向けて何か練習すること」が全くの無駄とは、誰が言えようか。冒険はたいてい無計画で無謀である。「冒険は人生を生きる価値あるものにする」。

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